ChatGPTが登場して以来、ホワイトカラーの仕事の多くは人間様がやらなくてもよい時代が間もなくやってくると、わたしがウォッチする先進的(と感じてる)人々が言葉は違えど同じようなことを発信し始めました。
「ホワイトカラー不要論」は2010年代からすでにありました。いずれはそうなるだろうということは容易に言えることかもしれませんが、予測というものは「いつ来るのか?」といった時期を当てることが何より難しいものです。
今回、何がこれまでと決定的に異なるのかというと、「いつ来るのか?」は相変わらずわからないとしつつも、「以前予想したよりも相当はやく(10~20年レベルで)訪れるかもしれない」とほぼ全員が前倒しした点が興味深いのです。
わたしは彼らほど解像度高くLLM(大言語モデル) をアルゴリズム的に理解している訳ではありません。しかし、ChatGPTみたいなものと戯れることにより「日本人の50%以上の人より賢い何か」が登場したという感覚を得ました。
50%というのは極めて適当な数字ですが、「言われたことを素直に解釈し、真っすぐに調査、回答を行う」というそのプロセス一点をとっても、これができない人をわたしはいくつも目撃してきました。もちろん、ある人からみれば、わたしもそのような一人に見えることもあるかもしれませんが、己の能力を棚に上げて上から目線で申し上げれば、なるほど確かに多くの人類よりも賢そうだ、となる訳です。
わたしはビジネスチャット、プロジェクト管理ツール、データ分析といったITツールを組み合わせ、直轄で20~30人規模を擁する新規事業を0から立ち上げた経験があります。
そのときの経験から、「既存会社組織のヒエラルキー的な構造は現時点で既に不要となっている。しかし、すぐには変化できないので、維持されているが、この構造が壊れるのは時間の問題である」ということを肌感覚で理解しました。
なぜ?という話は長くなるので次回以降へ譲りますが、要約すればヒエラルキーは経営→現場への情報伝達(単なる右から左、受け渡し)、現場→経営へのセンサー&フィードバック機能の2点を実現するための中間地点にわざわざ人間を配置、介在させる手法に過ぎず、この2点は現存する各種ITツールで構築、運用可能な状態になっていることを実践知から理解したからです。
そこにきて、ChatGPTのようなものが畳みかけるように現れてましたから、ヒエラルキー内で人間同士をコネクトするため、パワーポイントを駆使し何かを作ったように錯覚することに時間を使うことは、今後10年で明らかにリスクとなるのではないか。つまり、いよいよリアルな「ホワイトカラーの消滅」があながちファンタジーでもないことを実感し始めたのです。
では、次の10年。何がワークするのか?
感覚的な一つの予想。「わたしはこれがやりたい」という強烈な欲求を持つことです。「内的な情熱のみによって駆動される超個人的欲求から発露する知的好奇心を存分に有し、その理由なき理由で突き進む行動力を発揮すること。」
これが人間が人間であるというアイデンティティを確保しうる手段の一つとなるのではないか?ということです。
karap ポータルサイトでは、「世界をもっとおもしろがろう」という標語をつけました。それは次の時代、いかに世界をおもしろいものとして楽しめるか。
心から楽しいと思えることへ素直に取り組む人生をどう構築していくのか?を皆様と考えていきたいという思いを込めました。
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